ベルリンはドイツ連邦共和国の首都です。
その東側の「東ベルリン」は、第二次大戦後の東西ドイツ分裂から1990年のドイツ統一までドイツ民主共和国(東ドイツ、通称「DDR」)の首都でした。
ドイツの東西分裂やベルリンの壁については、ドイツに住んでいれば否が応でも耳に入ってくるテーマ。
1961年8月、東ドイツから西側への人口流失が後を立たなかったため、東ドイツの政府は西ベルリンを包囲し、東西の通行を突然遮断。その時点で東ベルリンに住んでいた人は、例え家族や親戚が西ベルリンにいようとも、西側に行くことができなくなってしまいました。
今の日本でいうと、隣りの県が突如「外国」になって、往来やそこに住む家族や友人との連絡すら規制される状況でしょうか…いや、びっくり。
上のモニュメントでは「西側に連絡したこと」が刻まれていますので、連絡すらも監視されて困難だったんですね。ちなみにその監視役を担ったのが「シュタージ(国家保安省)」です。いまだにドイツ人にとってはちょっと怖い、嫌な言葉なんですね。
以前、ドイツの首相だったメルケル氏はインタビューで「東ドイツ時代、大人が10人ほど集まればその内1、2人はシュタージだった」と述べていました。
娘さんと東西に引き裂かれてしまったご両親。西側にいた娘さんは結婚式を挙げましたが、東側のご両親は参加が許されませんでした。壁際にあるご両親の家の前で何かを伝えようと見上げる彼女。ご両親は大分ご高齢なようですが、1990年の統一の際には再開出来たんでしょうか…
私は旧東ドイツのエリアに来たのが初めてだったので、それまでベルリンの壁やその歴史を意識することがあまりなかったのですが、知れば知るほど辛い歴史。そして街中にはその悲しい歴史の断片が溢れていました。
ちなみにその後も街を散策すると…
かの有名な「チェックポイント・チャーリー」に到着。
ここは東西の重要な国境検問所だった場所で今は有名な観光地になってるのですが、私はずーっとこの写真の男性が「チャーリー」だと思ってました。「チャーリー、若いのにここの検問所の代表でもされてたのかしら…」と。
しかし調べてみたら、チャーリーというのは「NATOフィネテックコード」の「C」に当たるもので、いわば「チェックポイント・C 」と言う意味なんだそう。別にこの人がチャーリーでもなければ、この検問所を治めていた代表者でもないらしい。
じゃあこの人は誰なんだと思って調べてみましたら、こんな記事が見つかりました。
この男性の名前は「ジェフ・ハーパー」さん(全然チャーリーじゃない!)。ジェフさんは現在アメリカに住んでいる退役軍人で、当時22歳でベルリンの国境沿いに勤務していたアメリカ兵でした。
「1998年にベルリンに住む知人を訪ねてた友人から、チェックポイント・チャーリーの有名な写真について知らされたんです。友人は曲がったネクタイを身につけた私の写真が写っている絵葉書を送ってきて、正直自分の目を疑いましたよ」
って、知らないうちに自分の写真を飾られてたようです(しかも写真でかい笑)。ジェフさんもどうせ飾るってわかってたら、もうちょっとネクタイとか直したかったよね…
幸か不幸かベルリン、というか世界でメチャクチャ有名になってしまったジェフさん。人生何があるか本当に分からないですね。